OSK日本歌劇団について

OSK日本歌劇団について

■ 会社概要
1922年に松竹楽劇部として結成されたOSK日本歌劇団は、大阪の伝統文化として多くの舞台で活躍しております。
名称 OSK日本歌劇団
所在地 〒530-0047
大阪市北区西天満6-5-17 デジタルエイトビル3階
電話番号 TEL:06-6362-8838
FAX:06-6362-8839
■ 沿革
1922年(大正11年)

4月、大阪の天下茶屋に「松竹楽劇部生徒養成所」が創立されました。

1923年(大正12年)

5月、道頓堀に大阪松竹座が開場、松竹楽劇部の第一回公演「アルルの女」が上演されました。この頃の公演は、映画と映画の合間に、クラシックの洋楽にあわせてバレエ風の洋舞を踊る芸術的なものでした。

1926年(大正15年)

4月、松竹座開場3周年記念として「春のおどり」が誕生しました。これは当時関西の名物となっていた芸妓さんたちの踊りの発表会である「芦辺踊り」「浪花踊り」「都踊り」などをモデルにしたものでした。
さて、この公演をなんというタイトルにしようか、と劇団運営陣が知恵を絞っていたところ、当時の社長の白井松次郎の発案によって「春のおどり」と決まりました。また、当時の仮名遣いでは「をどり」が正しかったのですが、インパクトをねらってわざとちがった「おどり」を採用し、話題になりました。
この頃のトップスターは飛鳥明子。トウシューズのつま先で踊る、トウダンスの名手でした。

1928年(昭和3年)

8月、東京浅草に松竹座が開場、大阪より松竹楽劇部生110人が上京し、こけら落としに「虹のおどり」を上演し、大評判となりました。そこで東京でも楽劇部を作ることになり、10月に発足しました。これがのちの松竹歌劇団(SKD)です。第一期生には後年「ターキーブーム」を巻き起こした水の江瀧子がいます。

※)「ターキーってどんな人」
少女歌劇には女性が男性を演じる「男役」がありました。が、当初は長い髪を切らずにまとめてその上からシルクハットをかぶったりしていたため、スッキリしないものでした。1930年(昭和5年)、日本で初めて水の江瀧子が男性風に短く髪の毛を刈り上げて登場、たちまちその颯爽としたスタイルに人気が沸騰して「ターキーブーム」を巻き起こしました。

1929年(昭和4年)

3月、第4回「春のおどり 開国文化」で、ゲスト出演していたフランス人歌手ドフランヌ嬢が、紙吹雪を吸い込んで声が出なくなるというアクシデントがありました。それを防ぐために傘をさして歌ったのが、フィナーレでの「傘回し」の始まりです。

1930年(昭和5年)

3月、第5回春のおどり 「さくら」で、テーマソング「桜咲く国」が誕生しました。この公演はパリで演出の研究をしてきた演出家、大森正男の手によって初めての本格的なグランドレビュー形式をとり、タップダンスをとりいれたり、リズミカルな転換をみせたりという、画期的なものでした。

1933年(昭和8年)

6月、松竹楽劇部のオーケストラ楽団員と、劇団員による待遇改善を要求するストライキがおこなわれ、公演は中止され、高野山金剛峯寺にたてこもるという事件がありました。東京と大阪でおこったこの動きを、当時の新聞は「レビューガールによる『桃色争議』」と書き立てました。

1934年(昭和9年)

8月、千日前の東洋劇場を大阪劇場(大劇)と改称。松竹楽劇部大阪松竹少女歌劇団(OSSK)と改称され、大阪劇場を本拠地とすることになりました。第一回公演は「カイエ・ダムール」。現役引退した飛鳥明子に代わって人気を博したのが柏晴江(のちハルエ)、美鈴あさ子(のちアーサー美鈴)でした。

1935年(昭和10年)

3月、第10回「春のおどり さくら祭り」。大劇での初めての「春のおどり」は、松竹座よりも大きな舞台でセリ上がり、廻り舞台、花道などの機構をフル活用したものでした。またローラースケートをはいてのワルツの群舞は大きな話題になりました。

1938年(昭和13年)

3月、第13回「春のおどり 日本むすめ」。この公演より「松竹ロケットガールズ」の名称が誕生。それまでのラインダンスよりも進化した形になりました。
このころ、秋月恵美子芦原千津子のペアに人気が集まり、戦後を通じて「ゴールデンコンビ」の愛称で呼ばれることになります。

1943年(昭和18年)

5月、大阪松竹歌劇団(OSK)に改称。1941年(昭和16年)に始まった太平洋戦争の戦局がいよいよ厳しくなり、公演にもさまざまな制限が加えられてきます。アメリカ映画の上映も禁止され、戦争をテーマにしたものが多くなっていきました。

1945年(昭和20年)

3月、第20回春のおどり 「猿飛佐助」上演期間中の3月14日未明、大阪大空襲があり、道頓堀、千日前をはじめとして大阪市内は焼け野原になりました。当時の本拠地であった大阪劇場(通称:大劇(だいげき))も焼けましたが、大阪松竹座は奇跡的に焼け残り、OSKは空襲後も松竹座で公演を続けました。

7月、空襲で焼けた大劇を急いで復旧させ、7月26日には「夏のおどり 夏まつり」を開幕。

8月15日、終戦をむかえます。舞台の上演にさまざまな制限を強制していた戦時統制令も解除され、また日本全体が民主主義への脱皮をしなければいけない、変化の年でした。そんな中でもOSKは公演を続けます。

9月19日には大劇で「秋のおどり」が開幕し大成功をおさめ、敗戦ですさんだ人々の心に光を照らしました。

1948年(昭和23年)

11月、「秋のおどり他」京都四條南座公演。1933年(昭和8年)以来15年ぶりの南座公演。秋月恵美子芦原千津子勝浦千浪京マチ子らが活躍しました。

「第23回春のおどり」パンフレット

「第23回春のおどり」パンフレット。
創立30周年記念公演。

1949年(昭和24年)

6月、「夏のおどり」。日本ではじめての本物の水を使ったレビューを上演。予想以上の大成功をおさめ、8月からは引き続き演目を変えて「水のおどり」を、やはり本水を使用して上演しました。この後、OSKでもSKDでも水を使ったレビューが何度も上演されています。

10月には大劇で、11月には東京国際劇場で、OSKとSKDの東西合同公演「秋のおどり」が上演されます。このときのテーマソング「ビロードの夢」は、その後もOSKの秋公演のテーマソングとして歌いつがれていきました。

「夏のおどり」パンフレット

「夏のおどり」パンフレット。
日本初の本水使用レビュー

1950年(昭和25年)

3月、あやめ池大劇場で「春のおどり 花まつり」を上演。これがあやめ池公演の始まりです。

1951年(昭和26年)

8月、「歌舞伎おどり」。松竹の歌劇団であることを活かした、歌舞伎をベースにしたレビューを上演し、1953年(昭和28年)の第3回まで続きます。「歌舞伎おどり」がなくなってからも、OSKのレビューにはいろいろな形で歌舞伎が取り入れられています。

1952年(昭和27年)

6月、「春のおどり」を名古屋御園座で公演。この後1959年(昭和34年)まで毎年1月と6月に御園座公演がおこなわれていきます。

歌舞伎おどりパンフレット

歌舞伎おどりパンフレット。

1953年(昭和28年)

歌舞伎おどりパンフレット

11月、新装開場の大劇外観

1957年(昭和32年)

3月、第32回「春のおどり 春恋人形 ボンゴリードルス」。
公演上演期間中にアメリカのワーナー映画「サヨナラ」のロケがありました。マーロン・ブランド演じるアメリカ空軍少佐と、高美以子演じる日本人レビュースターの恋を描いたもので、映画のレビューシーンにこの「春のおどり」の一部が使われています。

7月、(株)大阪松竹歌劇団として独立。

「第32回春のおどり」パンフレット

「第32回春のおどり」パンフレット。

1963年(昭和38年)

6月、日本劇場(日劇)でおこなわれたOSK、宝塚歌劇団、日劇ダンシングチーム(NDT)、梅田コマミュージカルチーム、新宿コマミュージカルチームの合同公演に参加。民謡を取り入れたダンスが好評を博しました。

8月、OSK日本歌劇団(NKD)と改称。

1965年(昭和40年)

5月、第一回ソ連公演。モスクワはじめソ連の各地で49日間にわたって、公演をおこないました。当時まだまだ資本主義国と社会主義国との対立が厳しく、文化の交流も限られていた中で、OSK(NKD)がこの公演で果たした役割には非常に大きなものがありました。秋月恵美子はフルツェワ文化大臣から「芸術家」の称号を与えられるほど、OSK(NKD)の芸術性と技術は高く評価されました。その後1974年(昭和49年)まで、追加公演を含む5回のソ連公演と、3回のポーランド公演をおこない、いずれも大成功をおさめました。

1967年(昭和42年)

6月、大劇が老朽化のため閉鎖。以後、OSKの本拠地は奈良のあやめ池円型大劇場に移ります。

1969年(昭和44年)

3月、アメリカ公演。サンフランシスコの「カブキシアター」で3ヶ月の公演を行い、好評を博しました。

1970年(昭和45年)

7月、劇団名をOSK日本歌劇団に改称。

1971年(昭和46年)

4月、近鉄グループ傘下に参入。

1973年(昭和48年)

3月、「創立50周年記念祭典」をフェスティバルホールで上演。 OSKのOGである笠置シズ子京マチ子勝浦千浪らゲストをむかえ、1万5千人の観客を動員しました。

1977年(昭和52年)

4月、「OSK後援会」が発足。「友の会だより」(のち「OS K後援会だより」と改称)の発行、後援会主催のファンの集い、パーティなどの企画も始まりました。

1982年(昭和57年)

3月、創立60周年記念公演「秋のおどり 楊貴妃」を、あやめ池円型大劇場で上演。これは1955年(昭和30年)に大劇で上演された話題作の再演です。総指揮片岡仁左衛門(第13代)、演技指導に片岡我當、秋月恵美子。玄宗皇帝を嵯峨みさ緒、楊貴妃を東雲あきらが演じ、格調高い舞台は話題を呼び、評判となりました。

1983年(昭和58年

8月、創立60周年を記念して「浪速の夢・いま・むかし」が新歌舞伎座で上演されました。大劇閉鎖後16年ぶりの大阪市内での長期公演で、大阪で再びOSKの公演を復活させる第一歩でした。

1984年(昭和59年)

9月、あやめ池100作記念公演「秋のおどり ジンギスカン」を上演。ジンギスカンを嵯峨みさ緒が演じ、本物の白馬に乗って登場するシーンが話題を呼びました。

1985年(昭和60年)

10月、大阪上本町に近鉄劇場が開場。OSKも他劇団との合同公演に出演したり、近鉄小劇場での特別公演をおこなったり、活躍の場を持つようになりました。

1987年(昭和62年)

3月、近鉄劇場での初めての単独自主公演「楊貴妃/夢見桜ラプソディ」を上演。玄宗皇帝を東雲あきら、楊貴妃を雅都貴が演じ、これ以降2003年まで、年1回の近鉄劇場公演が毎年おこなわれるようになりました(1994年を除く)。

1992年(平成4年)

5月、0周年記念公演「Dancing Wave ARABESQUE」を近鉄劇場、愛知文化講堂、、東京ゆうぽうと簡易保険ホールで上演。
64年ぶりの東京公演が実現、またフィナーレ曲「虹色のかなたへ」はこの時に歌詞を公募して作られたものです。

近鉄劇場での年1回の定期公演も定着し、「魔剣士」(99年)、「エル・アモール・グランデ」(2000年)、「闇の貴公子」(2001年)、「新・闇の貴公子」(2003年)など、数々の話題作が生み出されました。また近鉄小劇場でも「ラ・ゴロンドリーナ」(93年)、「エンジェルキス」(95年)、「帰らざる夏」(98年)などのミュージカル作品や、リサイタル、新人公演などが数多く上演されるようになりました。

2002年(平成14年)

5月、創立80周年記念 あやめ池特別公演「Dance for Tomorrow~PLAY-BACKスペシャル」。通常の春季公演「PLAY-BACK」に80周年記念特別公演を組み合わせて上演、なかでも約40人によるラインダンスは迫力にあふれるものでした。

6月、近鉄の支援打ち切り発表。

2003年(平成15年)

3月、あやめ池最終公演「THE PHOENIX~不死鳥伝説~」上演。5月5日千秋楽。

5月、近鉄OSK最終公演「Endless Dream~終わりなき夢~」近鉄劇場で上演。5月25日千秋楽。

5月31日、OSK日本歌劇団の解散式が行われました。

8月、OSK存続の会、立ち上げ公演「熱烈歌劇re-BIRTH」、近鉄劇場で上演。

10月、「生きてこそ春に花~大石内蔵助とJ.S. バッハ 」MIDシアターで上演。2003年度芸術祭文化庁長官特別表彰受賞。

2004年(平成16年)

4月、OSK存続の会旗揚げ公演「春のおどり 桜咲く国/ルネッサンス」を大阪松竹座で上演。66年ぶりの松竹座での「春のおどり」は、大舞台での劇団員23名(他、研修生9名が参加)による総力結集の熱演が感動をよび起こしました。以後、松竹座での「春のおどり」は毎年上演されています。

6月、OSK日本歌劇団存続の会が、OSK日本歌劇団の正当な継承団体として承認され、NewOSK日本歌劇団の名称で活動を開始。

11月、大阪弁天町に小劇場 世界館創設、こけら落とし公演「キラリ☆NewOSK BRILLIANT ∞ 」上演。

2005年(平成17年)

1月、月1回の世界館定期公演開始。
以後、ショータイム・ダンディ・スターダストレビューなどをはじめ、充実した自主公演を開催。

2007年(平成19年)

10月、ワンズカンパニーの経営下に。OSK日本歌劇団と改称。

11月、京都四條南座で「レビュー in KYOTO」上演。1955年(昭和30年)以来52年ぶりの南座公演。テンポの速い迫力ある群舞に客席が沸きました。

2008年(平成20年)

4月、「レビュー春のおどり お祝い道中~浪花ともあれ桜花爛漫~ /Dream Step!」を大阪松竹座で上演。桜花昇ぼるのトップ就任を、桜満開の舞台でお披露目させていただきました。

5月、「2つの星の物語~Good?! or Bad?!~」をそごう劇場で上演。

7月、「レビュー in KYOTO II 輪舞曲(ロンド)薫と浮舟/ミレニアム・ドリーム」を京都四條南座で源氏物語千年紀をテーマに上演。

11月~12月、「世界館リバイバル公演」。2005年の世界館定期公演から「ShowTime」「ダンディ」「Stardust Revue」の3作品をピックアップして3週連続で上演。

2009年(平成21年)

1月、ワンズカンパニーより独立し、(株)OSK日本歌劇団として運営開始。

3月、「レビュー春のおどり 桜彦 翔る!~必ず戻る 恋と友情のために~/RUN&RUN」を大阪松竹座で上演。6年目の松竹座公演はラセツ国と天標国という架空の世界での抗争と恋の物語、そして「走る」をテーマにしたレビューショーをお届けしました。

6月、「Blue amber~揺れる琥珀のように~」をABCホールで上演。

7月、「レビュー in KYOTO III さくら颱風(タイフーン) 真夏(なつ)の京(みやこ)も桜満開 /DREAMS COME TRUE!」を京都四條南座で上演。

7月、「桜花昇ぼるオンステージ SONG for you」をいかるがホール(奈良県)で上演。

8月、一心寺シアター倶楽特別エンターテイメント企画 ショーキャバレー「ラ・ルージュ」参加作品 OSKミュージカル「Dream Again!」を上演。桜花昇ぼる主演のもと、チェリーガールズメンバーが初めて本格的なミュージカルに挑戦しました。

9月、OSK秋祭り「STAR★MINE」を世界館で上演。

10月、グランドレビュー「ファシネーション~魅惑と情熱の炎~」をたけふ菊人形大劇場で上演。

10月、「MAO TAKASE Live in ”umedaAKASO”」を上演。ライブハウスでの、生バンド演奏によるライブコンサート。OSKの新境地を開拓しました。

2010年(平成22年)

1月、桜花昇ぼる主演「YUKIMURA~我が心 炎の如く~」をサンケイホールブリーゼで上演。

2月、「聖徳太子絵巻」を上演。本公演は、奈良県平城遷都1300年事業として開催されました。

4月、レビュー春のおどり「桜彦翔る!エピソード2/ JUMPING TOMRROW!」を大阪松竹座で上演。昨年に続く、桜彦シリーズ第2作目は、黄泉の国で広げる救出劇を披露し、そしてOSKをより飛躍するようにと願いを込めて作られたレビューショー「JUMPING TOMRROW!」をお届けしました。

5月、伊賀忍者 霧隠才蔵物語「バンディット!」を上演。大阪文化祭 グランプリを受賞致しました。

7月、レビュー in KYOTO Ⅳ「みやこ浪漫 RYOMA/Dancing Rhapsody」を京都四條南座で上演。

上海国際博覧会 奈良ウィーク「仲麻呂~夢の旅人~」を1週間に渡り上演。

8月、音楽事業進出として「ブルーパンサー」がCDデビュー。デビュー曲「ラ・マスケラ」はオリコンチャート(インディーズ部門)17位を獲得し、また関西テレビ音楽情報番組「音エモン」のエンディングテーマに採用されました。

9月、京都 先斗町とのコラボレーション作品として「総司恋歌~沖田総司の青春」を上演。舞妓さん・芸妓さんの出演を得て、舞と雅楽を披露していただきました。

10月、OSK日本歌劇団 武生公演30周年記念「Love Force~龍馬の夢~」を上演。

今回で4回目の再演となる人気公演「Dandy」を上演。

12月、「女帝を愛した男~ポチョムキンとエカテリーナ~」を上演。大阪-サンクト・ペテルブルグ姉妹都市交流事業として開催され、平松大阪市長にご来場いただきました。